礼拝講話

信仰と新生「狭い門から入りなさい」マタイによる福音書7章13節

信仰と新生
「狭い門から入りなさい」
新共同訳聖書 マタイによる福音書7章13節

2026年7月26日(日)
(於)待晨集会
うのけキリスト集会主宰 鉢野正樹

はじめに

  石川県かほく市宇野気(うのけ)から来ました、鉢野正樹と言います。石川県と言えば2年前(2024年1月1日)、能登半島地震のあった県と記憶されている方も多いと思います。ただし、うのけという地名が石川県にあると言われても、知らない方が多いと思います。実は、そう言う所がありましてわたしはそこから来ました。そのうのけという所で40数年来、当初はわたしたち夫婦とふたりの姉妹たちではじめた集会で、毎週の聖日礼拝を続けて今に至っています。当初4人の礼拝が、いまは8人程度に倍増していますがこれ以上に増える見込みも予定もありません。ただ、小人数であることが幸いしてか、コロナ流行の期間も聖日礼拝は中断せず続けられました。

 今朝、待晨集会の伝道礼拝でお話する機会をいただいていますが、いつもは小人数の集まりで話していますので、インパクトのある話は不慣れであります。ごく内向きのお話で、お役にたてないことを恐れていますが、よろしくお願いいたします。

1.幼年期と少年期に経験したことから

 はじめに、幼年期と少年期に経験したことから二つのことを話させていただきます。いずれも、私事になりお聞き苦しく思われることはお許しいただきたいのですが、何事も手で触れたり心に触れたりしたことは確信をもって話せますので、この点お含みおきいただければ幸いです。

 わたしは生まれた年が1941年(昭和16年)で、この年の12月に真珠湾攻撃があり太平洋戦争がはじまりました。生まれた所が中国の天津で、戦争が終わった翌年(1946年)に5歳の時引き揚者として日本に帰ってきました。引き揚げてきた北陸は、春まだき、青空が広がり、ぬかるみがきらきら光り、静かでありました。子供心にも、目の前に平和があるように実感しました。これが、わたしの幼年期の経験でした。

 この経験のせいか、日本が平和であってもらいたいという願いがあります。わたしなりに信仰ということから平和の順序を、神の平和、家庭の平和、地域社会の平和、教会なり集会の平和、国家の平和、そして世界の平和と思い描いています。いずれも、和やかな関係がどうしたら可能なのかということ思っています。例えば、神との関係がぎくしゃくしたのでは、神の平和はそこなわれると思います。神の平和は、神との関係を正常に保つことと思います。これは、わたしにもできることです。その他の平和は、神の平和のように容易ではないにせよ道はあるのではと思っています。

 少年期には、小学校5年生のとき転校生という経験をしました。地元の小学校から、金沢の学校に転校しました。転校して間もないころ、わたしを自宅に連れて行ってくれたクラスの学友が二人いました。二人のうちの一人が、今月亡くなりました。死亡欄を丹念に見るのを日課にしている家内が、名前を見つけました。はじめ聞いたとき、家内が年賀状の交換しか現在はしていない友人の名前を知っているとは思わなかったので、誰の事かと思いました。元気だとばかり思っていたので、意外でした。このとき、ふと思ったことがあります。それは、人はどう生きるかということは大事なことではないかということでした。この歳で、今更どう生きるかもないかもしれません。しかし、こういうことは申し上げられるのではと思います。わたしのこれまでの人生を顧みて、これまで何をしてきたかを問われると黙してうなだれるほかないのですが、信仰をいだけたおかげで年を追うごとに心の平安だけは守られていると言えると思っています。

2.青年期に経験したことから

 わたしは、24歳のとき救いの経験をしました。それは、1965年10月21日のことでした。その1カ月前の9月の秋分の日にわたしは友人と一緒に、当時開拓伝道をはじめていたドイツのゴットホルド・ベック宣教師のもとを訪ねていました。吉祥寺キリスト集会に通いはじめ1カ月後、下宿の部屋で「黙示録」を読んでいたとき確かに神の声を聞きました。「あなたが悲しむことはない。わたしがその報いを受けたのだから」という言葉でした。座椅子から離れて、ひれ伏しました。救われたと、思いました。

 救われたことをベック宣教師に話したら、その言葉は聖書にあると教えられました。「イザヤ書」53章4節にある「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった」(口語訳聖書)という言葉です。

 わたしにとって救いの喜びは喜びでしたが、同時に嬉しかったのは、わたしには解決不能と思っていた人生の問題が同時に解けたということでした。それは、人の心にはどうして悲しみや淋しさや空しさがあるのだろうという問題でした。しかし、それは解けない問題と思っていました。しかし、救いと共にこの問題も解けました。解けてみれば、答えは簡単でした。人が、神から離れていることが悲しみや淋しさや空しさの原因だと分かりました。その証拠に、それ以来わたしの心にはこれらの耐え難い感情は再び起こることはなくなりました。この真理を開示された喜びは、心からの感謝でした。

 人の心にあるわけもない悲しみや淋しさや空しさは、かつてある姉妹が高齢となった友人が朝の目覚めが淋しいと言ったという話を聞いたとき、この方は正直に心の内を語られたと思いました。わたしには、悲しみや淋しさや空しさは神を離れた人への神からわたしに帰れとの呼びかけの声であったように思えます。

 救いの経験は、新生の経験でもありました。新生の経験というのは、讃美歌538番の歌詞にある「古きわが身は 十字架に死にて あらたに生くる 身とぞなりける」ということでした。新約聖書「ヨハネによる福音書」に、ニコデモという人がイエスを訪ねてきたときに、イエスはニコデモに「だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言われました。ニコデモはイエスに「もう一度、母の胎に入って生まれることが、どうしてできますか」と言いました。ニコデモの疑問は間違ってはいなかったでしょうが、わたしは母の胎には入らず新生を経験しました。イエスの言葉は真理であることを、わたしも経験しました。新生は、多くの人によって経験されていると思います。

 新生信仰は、他の宗教には見られないキリスト教固有の信仰と思われます。

3.壮年期以降に経験していることから

 比較的若い姉妹が、月に一度開いています「聖書輪読会」のときに、自分が救われたときにこれまでの苦労はなくなり、いいことづくめの日になると思っていた。ところがそれは、大きな思いちがいであったと話されたことがありました。

 わたしも、同じような経験をいたしました。救われた当初こそ天にも昇るような喜びと平安と充実の日々でしたが、このような感激の日は急速に失われていきました。救いの経験も、経験一般と同じく記憶は残りますが感情は薄れゆくもののようです。わたしは、薄れゆく感情をつなぎとめようとしましたが、かえって事態は悪化するばかりで、どんな罪を犯したので平安をもてなくなっているのかと信仰の悩みをもつようになりました。

 仮にこれを、信仰の悩みと言うとすれば、この悩みに襲われて不安や恐れや焦りを感じ苦しみました。当時わたしは、日記をつけはじめていましたが、その日の日記に平安のあるなしを記していました。

 平安と不安の繰り返しの波から、わたしが完全に解放されたと確信した日がありました。それは、吉祥寺キリスト集会で過ごした10年間の信仰生活の間では得られず、東京を離れさらに10年間の信仰生活を過ごすことになった金沢キリスト集会での10年目にも近いころでありました。その時も、わたしなりに悩むことがありましたが、その日の祈りのときにある思いが心のうちに浮かびました。それは、祈りによって超えられない悩みはないという思いでした。思いというより、確信でした。それ以来、平安は不動に近く、平安がくつがえらされそうなことがあっても、もちこたえています。「あなたが悲しむことはない。わたしがその報いを受けたのだから」の声に接したのが第一の新生であったとすれば、「祈りによって超えられない悩みはない」と思ったは、第二の新生であったように思います。

 信仰には試練がつきもので、信仰は試されてその本物か偽物かが分かるということだと思います。この間、わたしはパウロの書いた『ロマ書(ローマ人への手紙)』にひかれパウロの言っていることがよく分かるようになりました。「わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている」(ローマ人への手紙7章19節)。「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」(ローマ人への手紙7章21節)。

 試練に会って、わたしの「みじめさ」がよく分かるようになりました。

 わたしより先に待晨集会の聖日礼拝に出席していた友人に、大庭治夫という友人がいます。わたしが信仰をもって間もないころ、酒枝義旗(よしたか)先生がたまたま所要のため不在の礼拝の日がありました。その日の礼拝がおわったころ、前の座席にいた大庭君が突然立ち上がって後ろの席にいたわたしになにか話せと言いました。なんでと思いましたが、わたしも身の程知らずの状態で、一つの話をしました。

 それは、わたしが吉祥寺キリスト集会の晩の集会に出ての帰りのことでした。集会は、数名の婦人たちだけの集まりでしたが、集会がすんでわたしが先に帰るとき玄関でわたしを見送りに来たミンヘン・ベックさんがわたしに一言「遠くからだったのでしょう」と言われました。ミンヘンさんのねぎらいの言葉は、心に響く言葉でした。玄関を出て、集会の窓明かりからはじけるような姉妹方の笑い声が聞こえてきました。この笑い声が、あんな声で笑ったことがあるかとわたしに問いかけてくるようでした。

 この話を、わたしはしました。

 次の週の聖日礼拝に待晨集会に来たとき、わたしが驚いたことは、玄関の廊下に山本俊樹先生のお母様が立っておられました。静かににこやかに迎えられるお姿に、頭が下がる思いでした。今わたしは、あのときの俊樹先生のお母様に愛する心の人を見る思いがいたします。

 愛する心の人が、真正のキリスト信者と言えると思います。謙虚な心から、自然に愛する心が生まれるように思います。「狭い門から入れ」とは、イエス・キリストの言葉です。わたしたちが、天国の門あるいは命の門が狭いと感じるとすれば、それは、わたしたちの心にある自己義と自己愛とが妨げとなっているからだと思います。自分は正しい、自分がかわいいという思いが人に謙虚にへりくだり低くなることを妨げていると思います。

 心も身も低くして、決して卑屈ではなく、罪あることを悔いる心をいだきつつ、狭き門を通り細い道を歩み永遠の命へと倦むことなく進みましょう。

おわりに

 ご清聴に感謝いたします。つたない、信仰の話をお聞き下さりありがとうございました。今朝の待晨集会での伝道礼拝に、わたしの個人的な願いは、お集まりの皆さんと一緒にまことの義にして愛なる神様に、礼拝と感謝と賛美とをおささげすることでした。有難うございました。

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